身のまわりにはいつも何かが

身のまわりにあることを書いていきます。これから色々な分野に挑戦していきます。

転職について考える その2

私はこの2年間に2度転職をしている。この頻度は世間一般で言うところの高頻度なのか平均なのか、または少ないのかは分からない。しかしながら、転職前に私が想像していた頻度よりは多い。

では、その内容についてはどう評価しようかと考えている。いわゆる「その転職は成功だったのか失敗だったのか」である。この二分化の評価は選択肢が二つしかないので決定をすること自体は単純である。

成功と失敗にきれいに線を引くことはできない。そこにはグラデーションがかかっているためだ。今、振り返ればこの2年間に2度転職したことは失敗だと判断できることも多かったが、その失敗に気づき、克服できたという事実も含まれている。

その克服は失敗があっての克服である。これはどう評価するべきか?失敗の中の成功と表現するのが正確かもしれない。考え方として、最終的に良かったと思うことができれば成功と言えるかもしれないが人生は長く予期せぬことが起きる。そう考えるとより計画的に区切りをつけ、まめに評価をする人生がベターな気がしてきた。

ここが難しい。私の中には計画を立てることの重要性やメリットに気づいているにもかかわらず、あまり計画的に過ごすことに乗り気でない自分も存在するのである。これはどうしたものか?と結論は当分出ない気がするが少しだけ頭を使って考えたので良しとする。引き続き転職についてはくだを巻いていく。

転職について考える その1 

人生において「転職」は大きな転機である。転職をするかしないか、と言う選択はとても大きな決断である。することが良いとか、しないことが良いとかという問題ではない。

 

私は転職をしたことがある。一度ではない。その決断をする時は大きなエネルギーが必要だった。そのエネルギーの大きさを考慮すると確かに戸惑うことはとっても自然なことであると思う。未知への世界に飛び込む恐怖、未来。そして今ある現在に別れを告げる恐怖。

 

一方で恐怖ではなく、希望と判断する人々も当然いる。希望を求めて転職を決める人の方が多いかもしれない。私も希望と恐怖を天秤にかけ、希望を託し転職を決めた。その結果は今現在では良かったのか悪かったのかはまだ評価ができない。なぜならその転職の評価はある程度の時が必要だと私は考えるのである。転職後すぐに、良かったとか悪かったと判断することはなかなか難しい。この考え方も人により異なるし、その時代、環境も加味されるはずである。

 

正解はない。しかし転職をして何を感じたか、考えたかという気持ちは述べてみたいのである。なかなかこの経験を吐露する機会はなかった。誰かに聞いてもらう必要もないが、気持ちを吐露するという行為は人間にとって必要なことの一つであることは間違いないと思っている。

 

 

 

今年のアジサイ

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私はアジサイを育てている。育てているという程手間をかけてはいないが、確かに育てている。毎年、その成長には驚かされていて、さらにはその花の美しさに見惚れていた。なぜこのように描写するかというと、今年はどうやら様子が異なるからである。

 

以前書いた記事の写真のようではなく、葉も少なく、何だか痩せ細ってしまったような感じがする。花も今年は咲かないような予感がしてしまう。理由はまったく分からない。しかしながら納得することもある。

 

私は調子が悪い時がある。仕事だったり、体調だったり、人間関係だったり。誰だって調子が悪い時はある。花だってそうに違いない。花にとって花を咲かせないことは子孫を残す機会を逸してしまう死活問題である。

 

そう考えると、今年のアジサイはそのような谷間なのである。来年は咲くかどうかは誰にも分からないが、今年はそういう年なんだということは納得した。私が勝手に毎年きれいな花を見せてくれるという決めつけをしてしまったという私の "側" の話であった。

ブログを書く理由

ブログを書く理由を考えたことがあっただろうか?このブログを最初に書いた記事は下記である。2017年の6月7日であった。最近過去の記事を見返し当時を振り返って記事を書いている。それは久しぶりに記事を書いたこともきっかけの一つである。久しぶりに記事を書く時に、以前はどんな記事を書いていたかなとか、当時は何をしていたのだろうかとか調べながら書いている。

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人は過去を振り返る生き物である。過去を振り返ることにどのような意味があるのかは明言できないが人はそのようなことをすると私は考えている。過去を振り返らずひたすら前へ進め、という考え方も理解はできる。しかしながらやはり人は振り返ってしまう。祖先を祭る行為は過去を振り返り、更には見たこともない歴史を想像する行為と言えるのではないか?

 

振り返り過去の出来事を思い返す行為は人間にとって考えている以上に必要なことなのではないか?過去を振り返る行為は何も生まないのであろうか?

 

結論はまだないが、考えるべきことの一つである。

 

ベトナム即席麺、Phoの「Cung Dinh」 その1

2年半くらい前に下記の記事を書いた。ベトナムの即席袋ラーメンである。これはとても美味いラーメンである。今でもチャンスがあれば日々の食卓に登場させたい品の一つである。しばらくベトナムに関する事柄は身近になかったのだが、やはり私にベトナムは切っても切れない「縁」があるのだと思う。

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なぜそのように考えたかと言うと下記の画像を見てほしい。

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これは冒頭で懐かしんだラーメンではない。これはPhoという日本でも少しは知名度があるベトナムの料理、米粉で作られたヌードル、即席麺である。

 

これをベトナムで食した経験はない、と言うか私が滞在していた時に見かけたことはなかった。最近、とある日本のスーパーで発見したのである。日本でベトナムの即席麺?しかも売り場のPOPにはベトナム語で「That ngon(本当に美味い)!」。これは日本に滞在するベトナム人向けの食材という可能性も有りうる。という事は美味いに決まっている。

 

さっそく数個購入した。じつはこの時点でこの箱買いはしていないのである。もうお分かりであろう。このPhoは美味かったのである。その結果、これは「買い」と判断して二箱買いしたのである。Phoの定番である牛肉だしと鶏肉だしの二種類。どちらも美味い。日によって使い分けたい。ひと箱30袋で計60袋。値段は一袋税込みで70円程度である。輸入代金を考慮すればこれは安いと判断した。

 

次回、実際に作ってみた記事を紹介したい。

ユリの成長 その1

以前、下記の記事で私のユリを紹介した。今が旬なのであろう、とても力強い。今一番伝えたい事柄の一つである。

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花が咲いたら記事にしようかと考えていたのだが、その成長過程を伝えたくて仕方がないので今回の記事にしたのである。今このような状況である。

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ユリを見慣れている人であれば何てことない普通の画像であるかもしれないが私にとってこれは事件である。このように成長するとは知らなかった人間に対し、いや未知な物体に対しての全ての生物のリアクションは「衝撃」と言えるのではないか。

 

この数日以内に咲くであろうと素人の私にでも想像できる。これははるか昔にご先祖様が獲得した経験がDNAに刻まれているのだと私は判断している。なぜならば、植物が成長しつぼみを着け花が咲き種になるという過程を本能で理解しているのではと思っているからである。花が上記に述べたように成長すると本や映像から学習したからなのであろうか?

 

私の考えは否、である。人間の学問や口承で伝わるはるか以前から花の成長は存在するのである、おそらく。それは生物のDNAに刻まれていると考えざるを得ない。

 

とまた、酒をあおりながらくだを巻いたのであった。お粗末様である。