夕顔の力強さ
すごい勢いで成長している夕顔。蔓が出始めるとそこからが速い。あっという間にそこ
かしこに蔓を這わす。ある程度蔓を誘導してやらなければ蔓同士が絡まり合い収拾がつ
かない。この葉勢は力強く、この力強さは見ていて気持ちがいい。
いずれは花が咲き次世代を残し枯れる。それは分かっているが枯れつつある夕顔を見る
と、私は俳句はやらないが一句浮かんできそうな気分になる。無常感である。しかしま
た来年力強い姿を見ることができることを思えば「枯れ」とは一つの通過点である。
夕顔は、否、生物とはそのようなものなのである。
ひょうたん
緑のカーテンのメンバーであるひょうたんを紹介する。ひょうたんを知らない日本人は
少ないだろう。日本特有のものではないとは思うから、外国人の方でも「ひょうたん」
という単語は知らなくともその奇妙な形のひょうたんは知っているだろう。順調に成長
していてうれしい限りである。ひょうたんを育てた経験はなくこれが初体験である。ど
んな葉が広がり、どんな花を咲かせどんなひょうたんになってくれるか楽しみで仕方が
ない。
ひょうたんは食べることができるのであろうか。ヘチマ、ゴーヤは食用にできることは
知っている。しかしひょうたんはウリ科の植物ではあるが聞いたことがない。そのあた
りも調べながら今夏を過ごすのである。今から想像してニヤニヤするのである。夏が待
ち遠しいのであった。
蔓なしいんげんベビーから過去と現在を考える
蔓なしインゲンについにベビーが誕生した。記念すべき第一子である。まだ本当に小さ
な小さなインゲンである。二センチにも満たない存在である。いつだって思うのだ。植
物の花が咲くとき、実がなるとき、葉が色づくときは初めて見るかのような感動が湧き
おこる。これは不思議な現象である。なぜならこれまで何度も見てきたし何度も感動し
てきたからだ。
例えば、このインゲンベビーを発見したのは今朝であるが昨日に過去のインゲンの写真
を見たとする。しかしながら今朝の感動は昨日の写真を見たにもかかわらず新鮮に脳に
直撃する。写真とは過去を見る媒体であって今を見る媒体ではないということが分かっ
た。今を見ることとは体で感じることである。逆に言えば体で感じない刺激は現在の事
象ではないということである。体感することはいつだって新鮮に感じる。それは体を動
かしたり食事をしたり旅行をすれば分かる。読書は実体験ではないことを知ることがで
きるが想像することでもある。想像は仮想的な行動に思えてしまうかもしれないがそう
ではない。想像は体感なのである。これは人間の機能の中でも相当重要な機能ではない
か。想像がなければ人間はこれまで生き延びることはできなかったのではないか。
とまあ、特に裏付ける理由などはないが蔓なしインゲンを観察していて思ったことで
あった。
ツバメの季節
これが何か分かるだろうか。ツバメの巣である。今の時期がちょうど繁殖期で毎年大体同じ場所に巣を作るので楽しみにしている。巣にはたいてい溢れんばかりの雛がいる。親の餌を待ち、親が巣に戻ると我先にと餌にありつこうとする姿は楽しいものである。巣立ちまであっという間ではあるがここを通る度に人々は巣を見上げるのである。