ぼんち揚げ ガパオライス
珍しいお菓子をみつけた。ぼんち揚げである。ぼんち揚げが珍しいのではなくその風味である。ガパオライスとは何だろうか。
私もよくわからないのだがタイランドのチャーハンと言ったところだろうか。
味は美味しい。普通のぼんち揚げよりもスパイシーだ。これからガパオライスを想像するのは難しいがお菓子としては有りである。
蔓なしインゲンと現実
蔓なしインゲンの成長が著しい。恐らくトップを走る勢いである。昨年の3倍の収穫を皮算用しているが実現すると思っている。となると来年は今年の更に3倍かと欲を出し過ぎてしまいそうだ。
脳天気に楽しいことだけを思う。この時間は少量でも人生において大きな意味を持つと思うのである。
色々と現実は厳しいが蔓なしインゲンだとて現実である。
ベトナム旅行記 旧正月を味わう その53
ホッとする写真を載せよう。ベトナムの片田舎でのワンシーンである。ポイントは牛で
ある。
実は大して忙しくないのにもかかわらず日々の雑事に忙殺される。計画を立てて優先順
位をつけてひとつひとつクリアしていけば何の問題もなく終わることがほとんどであ
る。分かってはいるのだがそのように行動することは私にとって難しい時が多い。「言
うは易し」とはよく言ったものである。いつものことであるが、これには人間の習性が
関係しているのではと思っている。人間はもともと計画的に行動する生き物ではなかっ
たのではないか。農耕が始まったのが約1万年前でそれまでは狩猟採集生活をしてい
た。狩猟採集時代は農耕生活に比べ計画性を必要としなかったという可能性はないか。
動物が相手なので計画を立てようにも立てられなかったのではないか。よって常に腹を
空かせ、食事にありつける時には無理をしてでも栄養分を体内に蓄えてきたのではない
か。
一方、農耕生活においては計画性がとても重要である。この時期までに種を播き収穫、
次の季節には他の植物を植える。休耕期間は何年くらいとか計画性を必要としたのでは
ないか。1万年もの時間が過ぎたにもかかわらず相変わらず狩猟採集時代の名残がある
のかと考えたこともあったが、狩猟採集時代は現生人類の歴史の中で8割から9割を占め
るという。つまり今までほとんどが狩猟採集生活であった言えるのである。納得であ
る。
今言えることは計画性がないのは私という人間のだらしのない性格から発生するのでは
なく、ご先祖様の適応能力から生まれた特性だということだ。人類は何とかしてここま
で生存してきたのである。それは受け入れられるべき選択であったのだ。
ヘチマの近況
ヘチマが大きくなってきた。嬉しい筈なのだが少し違和感もある。その違和感とは全体的な成長遅延である。もうすぐ6月にも関わらずそれぞれの植物の成長が遅い気がする。昨年と比較しての違和感である。そういう年もあるだろうしただ少し遅れているだけかもしれない。不作の年があるのも聞いたことがある。何か原因があるとしてもそれを除去する手立てがなければ意味がない。農業に携わる人は大変だ。
ルッコラを放置したら
色々と手を出し過ぎて手が回らなくなってきた感がある私の家庭菜園だ。世話をした分だけきちんと結果があるはずだと信じているのだが、その世話をしないとなると話にならない。
私の悪いクセが出てしまった。
ルッコラを間引きをして育てる予定であったが多すぎてどうしてよいか分からず放置をしてしまった。種を播く段階から誤ったようである。見た目はきれいである。ただ食用を考えていたので何とかしたいところである。
さあ次回は間引きをしてみるとする。