身のまわりにはいつも何かが

身のまわりにあることを書いていきます。これから色々な分野に挑戦していきます。

英語を学ぶ姿勢

私は英語を勉強することが好きである。前回の記事のリンクを貼る事も面倒なので適当に綴る。

 

好きとは言え、外国語は一筋縄ではいかない。本当に難しい。なぜなのだろうか?ここを理解することは外国語学習に役立つと思っている。

 

それは人間の仕様であると考えている。人間は多彩な能力を持ち様々な環境に適応できる動物である。脳の処理能力にも当然限界がある。必要なことにしかその能力を割かないのである。私の例で言うと、英語を話す機会はほぼない。英会話というレッスンの機会を金で買い、無理やり必要性を作っているのである。これはある意味正しい。行動としては矛盾しているが英語を身に着けるという意味では正しい行動である。

 

英語を使う環境があって初めて英語は上達するのである。これは自然の摂理といっても過言ではない。英語を使わない環境において英語を学習して英語が達者な人は、必要のないスキルを得るスキルが高いということなのである。

 

私の例で例えよう。私はベトナムに住んでいたことがある。周りは99%ベトナム人ベトナム語が飛び交う。ここでベトナム語が話せなかったり読めなかったりした場合、どのような不利益を被るだろうか?毎日、同じ飯を食べなければならない。飯については実際は指差しジェスチャーで何とかなるのだが、役所、銀行、買い物なんてのはどうだろうか?何とかなるとも言えなくはないが本当に困るのはトラブルが起きた時である。病気、事故、いざこざ等は自分の主張を伝えることが第一ではないか?

 

病気やケガの際、「痛い」とか「良くない」しか言えなかったらどうだろうか?もちろんジェスチャーNon-Verbal Communication:言葉を伴わないコミュニケーション)は多くの情報を伝えることができ、言葉よりも効果的なケースも多々ある。このような環境において、脳は自然と切り替えるのである。ベトナム語が話せればよりおいしい物が食べることができ困難に対した時によりスムーズな展開が望めると。

 

この辺りを頭に入れて外国語学習を考えることも効果的ではないかと最近思うのである。