身のまわりにはいつも何かが

身のまわりにあることを書いていきます。これから色々な分野に挑戦していきます。

朝顔の「双葉」の消えない記憶

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小学生の時に学校で朝顔を植えたことがある人は多いのではないだろうか。みんな同時

に植えたはずであるが花の咲くタイミングがそれぞれで植物に個性があることを知っ

た。そして双葉という言葉も忘れられない。普段の生活において双葉と言う言葉はあま

り使われないと思う。しかし小学生の時に覚えた双葉という言葉は不思議と忘れること

がない。恐らく普段は使わないが一生忘れることはない単語の一つではないか。

 

生物は使用しない事柄に対して積極的にそれを忘れたりその機能を失わせ、必要なこと

に対して新たな機能を割り振る方が適応的なはずである。英単語はすぐ忘れてしまうが

双葉はいつまでも忘れない。これは本当に興味深い。写真の朝顔はどちらかを間引く予

定であるが今のところは下の方の朝顔が力強そうなので残す予定である。

マイヤーレモン開花したが、

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タイトル通り、マイヤーレモンが開花した。甘くとてもよい香りが漂う。数える程度の

花芽なので水遣りをしている時に控えめな香りに気づく。内心、もっと花をつけてたく

さんのレモンをつけて欲しいという欲望がある。こればっかりは仕方がない。レモンの

気分もあろう。来年に期待である。

 

そんな数少ないレモンの花が開花したのはよいが昨日の雨と強風のため花芽が吹き飛ば

されてしまった。貴重な花芽がと残念な気分に一度はなったが自然の中に自然のものが

存在しているということなのだと納得した。これも含めての家庭菜園である。

ひまわりの発芽から人間の予防行動を少しだけ考えた

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新顔のひまわりが発芽した。昨今の気候で発芽がはやくとてもうれしい。自然が相手の

ためゆっくりと構えていればよいとの認識はあるが、やはりなかなか出ない種は心配に

なる。適当な時期に適当な種を播くという基本さえ守れば発芽は難しくはないはずでは

あるが、人間の脳には未来を憂う機能が備わっている。この機能は予め対策を練ってお

くためにあるのだろう。未来のことを心配する機能がないと失敗した時にリカバリーが

できずそれが死活問題となる。しかし過剰に心配し精神を病んでしまうといったことも

少なくない。その心労が無駄になったとしても失敗してひどい目に合うよりはましだと

いう判断が働いているのではないか。

 

ひまわりの発芽からそんなことを考えた日であった。

ルッコラ

毎年、今季の家庭菜園では何か新しい植物を育ててみたいと思う。しかし実際は昨年と

同じような顔ぶれになってしまう。昨年の成功体験が大きいのではないか。はるか昔、

人類が農耕生活を手に入れた一万年前から人は毎年同じ育成をしないと作物が育たない

という考えがあったとどこかの本で読んだ。故に農業を生業にしている人々は保守的な

考えにつながるという意見だ。

 

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今季の新顔のルッコラである。ルッコラはとても特徴のある味だ。文章で表すことは難

しいが私はクセになる味だと思っている。サラダにすることがベストではないか。適当

に種をばら撒き現在このようになっている。これから間引きを何回かして育てていく。

思うように育ってくれるか楽しみではあるが結果は全て受け入れる。この精神が大切で

ある。

アルコール依存症

私は過去にほぼ毎日ビールを何本も飲んでいた時期がある。それも相当長い期間である。楽しみながら飲んでいた気になっている自分であったがどうやらそれは違ったようである。その行動に対して医者に行ったことはないがアルコール依存症であったのではないかと思う。

 

依存症というものの意味は相当広く明瞭に境界線が引けるものではないだろう。もしかしたら軽度のものは依存症とは呼ばず他の呼び方があるのかもしれない。どちらにしても生活の上で何らかの問題が発生するという共通点があるのではないか。

 

依存症に関しては素人ではあるが依存症をテーマにした本は何冊か読んだ記憶がある。私の感想では依存症は病気である。脳の病気である。脳が特定の物や行動を欲する病気だ。脳というのは本当に複雑である。全ての行動の司令塔のような位置付けながら、破滅的な制御不能な行動さえもする。これはどういうことだろうか。私には分かるわけがないが、恐らく進化の過程で獲得した何かが作用しているのではと考える。脳のその暴走と表裏一体の何かが必要だったのではないか。暴走する危険性をはらんでいたとしても、生存する上でその危険性を上回る利益をもたらすと判断された機能だ。

 

そのように考えるのであれば依存症は人類が共通に持つ機能から発生するのではないか。つまり誰もが依存症になりうると言うことである。私が斜め読みした本には、医者に依存症と診断された多くの人には依存症だという自覚症状がないとあった。「自分が依存症になるわけない」と。

 

冷静に考えてみると依存症と判断された人を見たり聞いたりした際、「自分はあそこまでならないよ」と考えることは依存症の人と何ら変わりがないのではないか。

 

人間は常に依存症になりうる存在だという意識が抑止及び被害を最小にするという視点の社会を目指すことが大切であると結論する。

 

ヘチマ発芽


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10日ほど前に播いたヘチマが発芽した。

嬉しい限りである。これからの発芽ラッ

シュをおもうと顔がにやけてしまう。

 

ヘチマを育てるつもりだがどの程度の規

模でやるかは思案中である。壁面一面の

ヘチマは最高なのだが育成中のケアや後

始末が大変だったりする。こぢんまりで

もヘチマはヘチマで夏は感じることがで

きる。

 

そんなことをあれこれ考えるのも楽しいのである。家庭菜園は発芽前からはじまっている。


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昨日はお台場に行ってきた。久しぶりの海である。とは言っても泳いだわけでもなくただ海をじっと見ていただけだ。まだ夏前だというのに暑かったが泳いでいる人はほとんどいない。波打ち際で波の往き来を楽しむ人がほとんであった。

 

なぜ海をみると何とも言えない感情を覚えるのだろうか。何とも言えない以上、分析も難しい。このような時は大昔を想う。人間が魚だったとはにわかには信じがたい。そして先代の記憶はどこまで、何に対して刻まれているのであろうか。

 

霊長類には共通し蛇を恐れる本能があるという。過去において蛇に被害を相当受けたのであろう。これも大昔の記憶が刻まれているらしいのである。

 

海を見て恐怖を感じる時もある。一方、何とも言えない感情を感じる時は不思議と不快な感覚はなかった。その答えはないが海は色々なことを考えさせる存在であることは確かだった。