身のまわりにはいつも何かが

身のまわりにあることを書いていきます。これから色々な分野に挑戦していきます。

技能実習生について その3

何とかして豊かになりたい人々と何とかして人手不足、少子高齢化が生み出す問題を解

消したい国が連携をする制度、これが現行の「技能実習生」である。Win-Winの関係で

いいことだらけと思うだろうか。そこに問題はないだろうか。その制度を一定期間続け

るとどういった問題が発生するだろうか。

 

この制度を利用する技能実習生の人々は出稼ぎという目的があるので多少の理不尽も耐

えるであろう。しかしながら一部の報道では技能実習生であることを理由に無法な環境

での生活を強いられている外国人もいると聞く。これを放置しておくと必ず悲劇が起こ

ると確信している。また、言葉遊びをして責任をうやむやにする政府諸機関の伝統的な

手法にもそろそろ限界がきているのではと思う。また、政府と記述したが、この制度を

必要としているのは政府ではなく日本の国民であることは自覚しておく必要がある。

 

継続的な議論が必要である。

 

 

 

技能実習生について その2

アジアの人々が将来の少子高齢社会を心配して日本への介護技能実習生を選択したのだ

ろうか。私はそんなことはないと考える。多くのアジアの人々は現在発展の真っ最中か

もうすぐ発展する可能性がある国に住んでいる。現状の先進国と言われている国々の様

な発展をするには多くの課題をクリアする必要があるとは思う。しかし、繰り返すがこ

れからの国なのである。所得が低くその日の暮らしにも困窮している人も多いはずであ

る。その人々は常にチャンスを狙っている。日本に来る目的は技能実習ではなく稼ぐた

めに技能実習生という制度を利用していると見るのが自然だ。

 

日本だって随分前から少子高齢社会が来ることは分かっていたはずなのに、目に見えて

その現象が現れるまで政策を打たなかった結果が今である。つまり、目に見えて変化が

起きない限りなかなか対策は立てられないのである。アジアの国々でも似た部分がある

だろう。年齢が若い人々が中心の社会において日本の様な高齢化社会の将来に対する対

策を立てることは困難な上、目の前の暮らしを豊かにすることで精一杯なのではない

か。

 

※次回に続く

技能実習生について その1

2017年9月30日の朝日新聞朝刊に「技能実習生の語学力決定」という記事があ

った。

 

厚生労働省は11月から受け入れが始まる介護分野の外国人技能実習生に必要な

日本語能力を決めたという。詳細は省くが一定のラインを引きふるいにかける

ようである。技能実習生とは名ばかりの、いや言葉遊びと言ったほうが正確な

のではないか。本来の目的は日本の介護分野における人手不足解消のためであ

るのに「技能実習生」とはユーモアが過剰である。

 

アジアの国々からの受け入れが多いと予想する。アジアの人々は平均年齢が日

本よりも若い。現段階では日本のような少子高齢社会は少ない。アジアの人々

にとって将来の少子高齢社会を前提にして日本へ介護実習するということは非

常に有意義であるし、この段階での少子高齢化対策としてはとてもタイムリ

なのではと思う。純粋に「技能実習生」であるならばという条件がつくが。

 

しかし、この問題に私は多くの疑問点がある。次回、くだを巻いてみたい。

「魚とうつ病の関係」を肴にくだを巻く

魚とうつ病との関連に関する記事が2017年9月27日の東京新聞朝刊にあった。

 

どういうことかと言うと、国立がん研究センターによると魚をよく食べるとうつ病にな

るリスクが軽減されると言う記事である。特に青魚が良いとされている。長野県に住む

人を対象に実施した調査した。魚をとる摂取量を4つのグループに分けどのグループに

リスクが軽減されるかを調べた。結果はやはり一番多く魚を摂取しているグループが

一番リスクが軽減されたという結果になった。

 

これをどういう風に受け止めるかは少々難しい。「難しい」とは魚の調査の結果につい

の受け止め方ではなく、情報の取り入れ方について難しいという話だ。私は何となく

を食べた方が良いとは思う。それ以前に小さな頃から魚は健康に良いと教育されてき

た土壌がある。そこにこの情報を読むと「ああ、やっぱり魚は体にいいんだ」と条件反

射的な反応をしてしまう。つまり自分の判断ができないことが問題なのである。またこ

の情報は私にとって有利なので受け入れやすい情報でもある。

 

私は魚はとても美味しいと思う。そして何だかんだ言っても魚を食べることは体に良い

と信じている。病気のリスクとは関係無くこれからも魚を食べ続けるだろう。情報を手

に入れるときは少し疑い深い方がその情報についてくだを巻きやすい。

 

※辞書を引くと、「くだを巻く」とはとりとめのないことを繰り返して言う、訳のわか

らないことをぐずぐず言う、とある。

タクシー業界の外国人運転手採用の話

2017年9月18日の産経新聞朝刊にタクシー業界の外国人運転手採用についての

記事があった。

 

それによると、あるタクシー会社は外国人運転手採用を本格的に始めるとい

う。その背景には訪日外国人対策と人手不足という二つのポイントである。東

京オリンピックの影響もある。タクシー運転手は単純労働と見なされビザが発

行されないが、観光業務に対する特殊な高度人材とみなし国際業務ビザが取得

できる。高い日本語の読み書き能力、運転免許の保持が条件だ。すでに何人か

の外国人が活躍している。タクシー会社からの評価も概ね良く語学を生かした

接客も好評だ。

 

私は結構仕事でタクシーを利用するが今まで外国人運転手の方に会ったことは

ない。タクシーに通常はナビが搭載されているし乗車中もそれ程運転手との会

話もない。支払いもクレジットカードを使用すれば外国語もほぼ不要だろう。

そう考えると外国人でもある程度の接客は可能だろう。一方旅行者にとっては

タクシーは非常に便利だろう。都心の電車やバスが発達していると言っても外

国人には敷居が高いと思う。日本は安全だとは思うが旅行者には所詮外国、ア

ウェイ感は大きいはずだ。そこで英語や外国語が堪能な運転手がいると随分違

う。日本人も外国に旅行へ行った際、日本人運転手のタクシーがあれば積極的

に利用するのではないか。

 

とは言え、この動きの本質的な背景は人手不足だと私は考える。タクシーに乗

ると運転手の方は年配の方が多く、人手不足を感じる。タクシー運転業務の労

働形態はとても過酷に思える。運転手の待遇はよく分からないが人の命を預か

る仕事にはそれを担保する制度が必要である。国籍にかかわらず先ずは「安全

第一」を第一に考えてほしい。

 

 

 

ヘチマようやく

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春から植えた家庭菜園のほとんどはその役目を終えた。しかしその中で実をつけ始めた

植物がある。それはヘチマである。真夏の盛りには葉に勢いがあり壁を覆いつくすほど

である。そして9月の始めにはつぼみを次々につけ今は毎日黄色い大輪の花がたくさん

咲いている。しかしどういうわけか雄花ばかりである。雌花を心待ちにしていた先日、

雌花を発見した。ゴーヤ同様、小さいながらもヘチマの形をすでにしている。これから

ヘチマラッシュになると想像しながら悦に入るのである。

 

ゴーヤが終わり、もう夏野菜たちは終わったのかと秋到来に一抹の寂寥感があったのだ

がまだヘチマがあった。夏を感じさせるヘチマを眺め秋の到来を受け入れる。夏から秋

への移り変わる季節も日本の季節を代表する季節なのだ。

 

旬のもの?天かすご飯

新米の季節がやってきた。新米という単語に弱い人も多いのではないか。私は普段は

あまり意識しないくせに米の袋に新米という字がプリントされているだけでワクワクし

てしまう。そしてこの季節はおいしいものが続々と出てくる。いわゆる旬のもの、自然

が用意してくれるのである。ということは多少食べ過ぎたって問題ないと判断してい

る。なぜならば恐らくこの自然サイクルははるか昔から連綿と続き、そのサイクルは人

間の遺伝子にも刻まれていると思うからだ。有史以来、この地域に住んでいた人間はこ

の季節には旬のものをたらふく積極的に摂取して栄養を蓄えていたのではと想像する。

 

前置きが長くなったが、私は主菜ではないご飯にあわせるものが大好きである。具体的

に言うとふりかけとか梅干、塩昆布とかである。主菜ではないという表現はふさわしく

ないかもしれない。もはや立派な主菜である。

 

そんな中、本日紹介するのが「天かす」である。

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お好み焼きや関東ではたぬきうどんに入っているあれだ。てんぷらを作るときにでるこ

ろものあまりである。私の食し方はこうだ。ふりかけ、塩昆布、梅干と何でもよいが先

ずは味が濃い"主菜"をごはんにまぶす。そしてそこに天かすを追加する。次が重要だ。

時間を置かずにすぐ天かすごはんを食す。天かすがご飯の水気を吸う前に口に入れる。

そして何とも言えない、カリッカリッの食感と"主菜"の融合を楽しむ。至高の時間であ

る。ご飯が何杯でもいける。天かすは旬のものではないが、旬のもの代表である新米に

は十分ふさわしい。

 

今しか食すことができない贅沢な貧乏飯である。お試しあれ。