身のまわりにはいつも何かが

身のまわりにあることを書いていきます。これから色々な分野に挑戦していきます。

ひょうたんの成長が、


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緑のカーテン用に種から育てているひょうたんがある。ひょうたんを育てた経験はないが成長が遅い気がする。最近の気候があまり暑くないためだろうか。植物全体的に成長が遅い気がする。梅雨明けからスタートということも十分あるが昨年までの記憶が曖昧である。この適当な記憶はマイナスな特性ではなく適応的に獲得されたものではないかと思っている。機械のように記憶が確かであると色々マイナスなことが起きるのではと思う。

 

先ず人間の機能に限りがある。記憶以外にも瞬間的に判断を下したりすることが重要な場面は多い。特に狩りをしていた時の瞬発力は必須であり生死をも決めただろう。また年毎に変化する状況に感動することは人間の脳に心地よかったのではないか。

 

ひょうたんの成長は少し心配ではあるが梅雨明けを待ってみる前向きな動機となっていることに気がついた。これも脳に良い刺激となったのである。

夕顔初花


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よし、今年初の夕顔である。小ぶりではあるがその妖艶な薄い紫色は健在であった。これから花ラッシュを期待する。

インゲン初収穫


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今年初収穫のインゲンである。八百屋やスーパーで購入したものとは鮮度が違う。全身に産毛のような毛が有り、この感触はなかなか体験できない。

 

よく洗ってそのままかじってみたら、それなりに食べられるが茹でた方が甘味が出て食べやすい。すぐに茹でマヨネーズをつけいただいた。とても美味であった。

アルコールと二日酔い

久しぶりにアルコールを摂取した。ビール、

焼酎を少し飲み過ぎた。そのため二日酔いで

ある。少し忙しかったためそのストレス解消

のためである。

 

アルコールは好きだがこの二日酔いが時間の

無駄なのでたまにしかやらないのである。大

体次の日の昼過ぎまで気分が悪い。本当に時

間がもったいないと思う。

 

飲まなければいいとはわかっているが飲みた

くなる時があることもまた真理である。二日

酔いにならないアルコールを開発して欲しい

ものである。

 

スパゲティアラビアータ

 普段あまり外食はしないのだが久しぶりにス

パゲティをお店で食べた。スパゲティは好き

だが詳しくない。トマトソースのスパゲティ

が食べたくなったのだ。

 

メニューを見ると結構豊富ではないか。ペス

カトーレとかアラビアータとかどのようなス

パゲティなのかわからない。仕方なくスマホ

を使い調べてみた。ペスカトーレは海産物を

使用したもののようで結局アラビアータを注

文した。語源はアラビア風ということなのか

よくわからないまま注文した。

 


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出てきたのはトマトソースのスパゲティだっ

たがどのあたりがアラビア風なのかわからな

かったのである。うまかったので良しであ

る。

新聞は総合デパート

前回新聞の楽しさ、有用性について述べた。では今回は新聞の情報がどのような存在な

のかを考えてみる。誰でも手軽に多くの情報を得ることができるそのジャンルは多様で

総合デパートのような存在である。

 

ネットニュースは速報性では抜群である。しかしネットニュースは個別性がとても強

い。そして読む人の嗜好性がニュースの選別に強く影響する。総合デパートと個別の店

で考えてみよう。ネットニュースは個別の店、例えば八百屋、魚屋、または本屋、花

屋、服屋等である。最近ではこれらがミックスされて個別な存在ではない場合もある。

一方新聞は総合デパートのような存在である。服もあれば、食品もあり、日用品、本、

ベッドだってある。デパートに出かけ必要なものを購入した後に、他の階を見て自分の

意図していない商品に触れ購入したといった経験もあるのではないか。購入しなくても

こんな面白い商品があったという情報を得ることができ、その情報を人と共有したり

ネットで発信したりもできる。 

 

八百屋では魚の情報は得られないし、本屋で花は購入できない。優劣を述べているので

はない。総合デパートと個別の店を例に想像することで新聞とネットニュースの存在意

義が理解できるのではないかと考えたのであった

新聞を読むことから考える

これまで新聞を読む面白さ、有用であることを何回か述べたことがある。私は情報収集

というよりは単に読み物として楽しんでいる。「社会人であるならば新聞を読め」とい

うようなスローガンのような文章を見かけたことはあるがこれには苦笑してしまう。社

会人であろうとなかろうと老若男女問わず新聞を楽しむ方がよい。なぜ強制的なニュア

ンスを差し込んでしまうのか。余計に新聞を読む人が減っていくのではないか。人は本

来強制されることを拒否する生き物である。

 

各社の新聞はそれぞれ特徴があり、一方内容によっては似通った記事もあるだろう。そ

して政権に対して批判的な新聞、親和的な新聞等色々あるだろう。新聞は批判的である

べきであるという考えには基本的には賛成である。ところで新聞は政府の話だけ載って

いるのではない。それ以外に地方の話、季節の話、催し物、世の中には色々な人がいる

こと等ジャンルの数について言えば政府の話は少数派ではないか。このように多種多様

な情報があるところが新聞の存在意義であると私は考える。読者は必要な情報を取得す

ればよいのではあるが、自分に必要ではないと思われる情報にも触れる確率が上がる。

なぜなら読者層が多様である前提で作られているからである。ここが最も重要である。

 

「自分に必要ではないと思われる情報にも触れる確率が上がる」

 

自分に必要ではないと思われる情報は実はとても重要であったとか、重要になったとい

う視点である。このようなメディアは新聞独自のスタイルであるとは言えない。テレ

ビ、ラジオでも可能であろう。しかし、短時間に同時に様々な情報を得るといったこと

に関しては新聞が頭ひとつ抜き出ると考えるのである。