身のまわりにはいつも何かが

身のまわりにあることを書いていきます。これから色々な分野に挑戦していきます。

「もう一つの祖国 戦後70年 祖父はベトナムに残った(朝日新聞過去記事から)」 その10

朝日新聞縮刷版 2015年7月26日の記事を読んだ感想である。

 

日本兵の孫の友人である残留日本兵の3世のアインダオさんの話である。現在、千葉

県在住だ。アインダオとはベトナム語で桜という意味である。彼女の祖父はベトナム

ら帰国後に日本で再婚をした。しかしベトナムに残した家族を見捨てることはなかっ

た。日本の家族にベトナムの妻子のことを打ち明け、ベトナム戦争終結ベトナムの家

族に会うために渡った。家族は再会に雨のように泣いたという。

 

アインダオさんは日本へ行くことになりやがて両家族は互いに家族なのだと受け入れ

た。

 

 

人生経験の不足した私からはただただ口を閉じるだけである。

「もう一つの祖国 戦後70年 祖父はベトナムに残った(朝日新聞過去記事から)」 その9

朝日新聞縮刷版 2015年7月25日の記事を読んだ感想である。

 

日本兵の孫は日本人眼科医でボランティアの服部匡志医師を紹介され活動を共にする

ことになった。服部医師の通訳、現地での様々な手配を担った。やがてベトナムのメデ

ィアにも注目され医師は「ベトナムの赤ひげ」と呼ばれた。「ホアイさん(孫)はベト

ナムのために、日本人と一緒に貢献できていることがうれしかった」と言う。

 

服部医師のプロジェクトは発展していきベトナム政府は外国人への最高位の勲章を与え

た。その影にはホアイさんのサポートがあった。

 

 

自分の祖父の国にかかわる事ができるのはやはりうれしいのだろう。何代前も前ではな

く祖父は本当に近い存在なのである。

「もう一つの祖国 戦後70年 祖父はベトナムに残った(朝日新聞過去記事から)」 その8

朝日新聞縮刷版 2015年7月24日の記事を読んだ感想である。

 

日本兵とその息子と孫は福岡の旧日本兵の自宅を訪れた。息子は祖母の世話

をするためにベトナムへ残ったので、息子の兄弟姉妹とは生き別れ状態であっ

た。そして35年ぶりに再開を果たす。しかし幼い時に日本へ来た兄弟姉妹達は

ベトナム語をうまく話すことができず会話がままならない。それを見ていた孫

は日本語を学ぶ決心をする。

 

孫はベトナムで大学を卒業後日系企業に就職する。日本語を使用し日本とつな

がる仕事に邁進する。そして転機は訪れた。仕事で日本へ行くことになりビザ

取得のために日本大使館へ行った。そこで偶然ベトナムで網膜手術のボランテ

ィアをしている日本人医師を手伝うベトナム人眼科医と知り合った。

 

 

私は生き別れた兄弟姉妹と母国語を通し会話ができないということに衝撃を受

けた。戦争の直接の影響ではないのかもしれない。そこにはベトナムに残ると

いう選択があった。否、選択せざるを得ないということを考えるとやはり戦争

の直接の影響である。

 

ベトナムで家族揃って暮らしたかっただろうに。

「もう一つの祖国 戦後70年 祖父はベトナムに残った(朝日新聞過去記事から)」 その7

朝日新聞縮刷版 2015年7月23日の記事を読んだ感想である。

 

日本兵の孫に対しても2世と同様に差別を受けたという。就職差別を受けた日系人

は多い。ベトナム人の日本への悪い感情は2つあるという。一つは太平洋戦争時、日本

軍が進駐した際ベトナム人に多くの餓死者がでたためだが、日本とベトナムには激しい

戦闘はなかったので反日感情は限定的だったという。もう一つはベトナム戦争時、日本

が西側に立ったことからだ。旧日本兵の孫は日本へ行くことを決めついに日本へ渡っ

た。

 

差別はよくないがその背景にあるものを知っているのと知らないのではそこから未来へ

向けての展開が異なるのではないかと考えた。

「もう一つの祖国 戦後70年 祖父はベトナムに残った(朝日新聞過去記事から)」 その6

朝日新聞縮刷版 2015年7月22日の記事を読んだ感想である。

 

ベトナム戦争終結し、ついに旧日本兵ベトナムに残ったその息子に20年ぶりの再会

が実現した。旧日本兵は日本で生活をしながらも息子のことを心配し仕送りや手紙を送

っていたという。20年の空白はどのようなものであろうか。他人には想像できない月日

である。生まれたばかりの子供が成人してしまう月日である。

 

親子が離れ離れになるのは戦争にはよくある話と言えばそうかもしれない。しかし人生

を翻弄する出来事に懸命に対処する人の話は興味深い。しかも太平洋戦争での日本とベ

トナムと言ったあまり表にでてこない場面である。

 

過去や歴史を忘れた頃に同じ失敗は繰り返される。様々な角度、場面から不断の情報

収集、思考が大切だ。

「もう一つの祖国 戦後70年 祖父はベトナムに残った(朝日新聞過去記事から)」 その5

朝日新聞縮刷版 2015年7月21日の記事を読んだ感想である。

 

 

日本兵の2世は学校で「ファシスト日本」や「混血」と差別を受けたという。ファシ

スト日本とはかなり過激である。ここにも悲劇がある。2世にとっていわれのない差別

だがそれを引き起こしているのはやはり戦争であろう。私はあまり歴史的な背景には

詳しくないが、それは恥ずべきことなのだという認識はこの記事を読み考えた。先ずは

歴史を自分なりに学習することから始める必要を感じた。

 

「もう一つの祖国 戦後70年 祖父はベトナムに残った(朝日新聞過去記事から)」 その4

朝日新聞縮刷版 2015年7月20日の記事を読んだ。とても悲しいあるベトナム人女性の

話があった。

 

ある日本軍旧兵士と離れ離れになったベトナム人妻、現在90歳を超える年齢だがいまだ

に夫の帰りを待っているという。そして日本軍旧兵士は帰国して日本で新たな家族を持

った。

 

家族の分断がそこかしこにあった。戦争のためだ。しかしその分断に中に日本人がい

た事実がより私の関心を生んだ。分断と悲劇、何が原因なのだろうか。それは戦争であ

る。

 

この記事を読んで私の心は震えた。