今年初ゴーヤを食べる
シンプルに食べる、これに限る。その物を味わうには手を加える回数が少ない方が良い。時に手を加えなければ食べることができない物もある。人間は好奇心とチャレンジ精神であらゆる物を食べようとしてきた。どうやっても食べることができなかった物もあるだろうし食べることはできるが美味しくないので敢えて食べない物もあっただろう。ご先祖様は偉大であったのだ。
ゴーヤに戻る。
3、4ミリに切って塩昆布と和える。それだけである。私の好みとしてはゴーヤがパリッとしている状態が好きである。なので作ったらすぐ食べる。これが美味しく食べる秘訣である。
心への水やり
生命にとって水は必要不可欠である。当たり前のことではある。人間にも動物にも、そして植物にも同様だ。植物は光合成によりエネルギーを作る。内部的な機能はよくわからないがそのために水が必要なのであろう。また葉から水蒸気を放つ蒸散という機能がなければたちまち熱が上がり絶命してしまうだろう。緑のカーテンはこの蒸散機能があって涼しく感じるのであろう。もちろん日陰を作る役割も大きい。
私は毎日植物に水を与える。これがかなりの量の水になる。その作業はけっこう重労働である。じょうろに複数回水をため水やりをするのだが効率が悪い。ホースで一気にまきたいが鉢植えが土で汚れる。またゴーヤにはペットボトルでの水やりをしているがこれも面倒である。
しかしこの労働あってこその花や実であり私の心を癒やしてくれるのである。私の心への水やりであった。
最後のトマト?
まだまだ暑い日が続くが私のトマト達は最後の力を振り絞っているようだ。恐らく今季最後の実ではないか。収穫量は5、6個ではあるが初めての中玉トマトとしては満足である。
最後のトマトは4センチくらいだ。真っ赤とは言えないが収穫しても良い時期であろう。一時期と比較すると木や葉も随分と年季が現れてきた。しかし小さな苗木から見ている私にとってマイナスなイメージはない。ここまで大きくなって実を着けてくれ感謝である。
日々感謝を忘れてはいけない。
最初のひまわりはこのようになった
私の自慢の最初のひまわりはだいぶ年を重ねたようだ。人間で言うと何歳になったのであろうかと思いを巡らす。
よく観察すると花の中央部分が膨らみ凸状に変化している。今までじっくり見る機会がなかったのだが新しい発見である。これがひまわり共通のものなのか私のひまわりの種類特有の変化なのかはわからない。しかし種をつくろうとしている過程であるとの想像はつく。来年用の種がどのようにできるのかまだまだ楽しみは尽きない。
ロシアのチョコレートが美味い理由
ロシアのチョコレートを開封した。一見すると日本の板チョコのようであるが持つとずしりと重い。
うーむ、その理由は板が厚いとわかった。日本の板チョコの1.5から2倍の厚さである。これまで板チョコの厚さに注目したことはなかった。新鮮である。
食べるととても美味いではないか。恐らくいわゆる普通のミルクチョコレートだと思うが日本のチョコレートと遜色ない。むしろロシアのチョコレートの方が美味いとすら思える。その理由を考えてみると厚さが関係しているように思える。食べごたえがあり満足感がある。味は美味いが特別感はない。これは発見である。チョコレートに厚さが重要だったとは思いもよらなかった。日本にも厚いチョコレートはあるのかもしれないが私に縁はなかった。
口に入れるものは味だけではないと再確認した。