身のまわりにはいつも何かが

身のまわりにあることを書いていきます。これから色々な分野に挑戦していきます。

読書感想文を書きたい その1

読書感想文と聞くとどんなイメージが浮かぶだろうか。この時期だと小学生の夏休みの

宿題で大変だったという記憶がよみがえる人もいるのではないか。確かに夏休みの読書

感想文は私も苦労した記憶がある。小学生の読書感想文は本を読んだ後にどのように思

ったかを自由に記述するといったことだったと記憶している。ただ感じたこと、思った

ことを書きなさいと先生に言われたと思う。しかしそのやり方については詳細に教わら

なかったのではないか。これでは自由過ぎてどうやったら良いか困ってしまう。

 

なぜそんな遠い記憶を思い返しているのか。それは2017年7月30日の東京新聞朝刊の

こんな記事を見たからだ。

 

まなぶぅのトントン拍子! 「読書感想文の書き方」

 

これは夏休みの読書感想文の書き方を指南した記事だ。これは良い。

次回は詳細を述べたい。

ゴーヤチャンプル その2

2017年7月31日の読売新聞朝刊、「きょうのひと皿」という記事があった。

ゴーヤチャンプル」のレシピである。

 

材料で重要だと思うのは豚のバラ肉である。個人的に豚バラ以外では考えら

れない。狭量だと思われてもいい、譲れない。そして、このレシピにケチを

つけるわけではないが、私なりのコメントを追加したい。

 

項番1

塩をふってしばらくおくとあるが私は置かない。そのままのゴーヤを使う。

 

項番3

豆腐は水気が気になるならば厚揚げを使用してもいいのではないか。

 

項番6

味付けについては好みだがめんつゆを使えば楽だ。削り鰹を二回に分けて

投入するテクニックはにくい。効果的だろう。

 

溶いた卵は半熟のとろとろが余熱で少し固まった状態が私の好みだ。

苦、ふわとろ、じゅわっと肉の脂・・・。

 

ご飯が何杯でもいける一品だ。

 

ゴーヤチャンプル その1

2017年7月31日の読売新聞朝刊、「きょうのひと皿」という記事にゴーヤチャンプルー

のレシピが載っていた。私もゴーヤチャンプルーが大好きである。私はゴーヤチャンプ

ルーではなくゴーヤチャンプルと呼んでいる。最後を伸ばすか伸ばさないかどちらが

正しいのか私には分からない。ゴーヤゴーヤーというのが本場式だなんてことも聞

いたことはある。おそらく沖縄の言葉だと思うが、私には沖縄の発音は難しいので

ゴーヤチャンプルと呼びたい。しかしこれが伸ばさないために苦瓜という意味ではなく

他の意味になってしまうのならば少しやっかいだ。

 

例えばもし下記の様であるならば困る。

ゴーヤー: 苦瓜

ゴーヤ: メロン

 

チャンプルーとチャンプルでは意味が正反対になってしまうのであればそれは区別した

方がよい。一方、そのゴーヤチャンプルーの最後部分の伸ばす棒線である「ー」が本当

に私の知っている「ー」の発音と同一なのかどうかは分からない。よって繰り返すが私

が今回話題にするこの料理は「ゴーヤチャンプル」と定義する。以下ゴーヤチャンプル

と表記する。

 

前置きが長くなったのでレシピについては次回にする。

不調

このところまた腰痛が始まった。痛くて何もできないというわけではないが、

油断すると酷いのが来そうで精神的にストレスとなっている。仕事上、座って

いることが多く普段から運動不足だ。座っているとつらいが常に立っている事も

難しい。それがまたストレスになり悪循環である。一番楽な姿勢は横になること

だ。横になりながら仕事ってのも先進的だと思うがこの社会では理解されにくい。

 

この腰痛の原因は色々ありそうだが、一番の原因は疲労だと思う。最近疲れを

うまく解消できていなかった。疲れは万病のもとだ。不調に対して素人判断は

危険だが私は先ずは何も考えずに寝てしまう。疲れが残ると考えもネガティブ

になりがちである。スッキリとしてからどうするか考えるのだ。

特別なこと

私はがんという病はとても特別な病であるように感じる。がんと聞いてそのネガティブ

な印象は強い。それはがんについての情報の乏しさも原因の一つではないだろうか。

 

私の得意の戯言になるが、私の持っている知識では自分自身の遺伝子、細胞が正常に

増殖、修正できなくなる時にがん細胞となり正常機能しなくなる。その結果、悪さを

するというパターンが多いという認識である。そして日常的にがんの芽は健康だと思

われる人(健康とは何かという定義はできないが)でも普通に存在するという。つま

り、がんは日常的な存在であるという認識である。しかし人は「まさか自分ががんに

なるなんて」と思う。私もがんが発見されれば「何で私が?」と被害者意識が湧き

絶望に陥るだろう。


これはどういうことだろうか。人々の意識ががんを「特別なもの」にしたのかもしれ

ない。がんとはどういうものか、がんになったらどうすればよいか、がんになり残さ

れた時間をどう使うのか、身近ながん患者に対する接し方等を広く啓蒙、教育してい

ってはどうだろうか。もうそういう段階にきているのだと感じている。

 

 

 

投稿記事

新聞の面白いところはたくさんある。その中でも私が好きなのは投稿記事で

ある。色々な 人が様々な立場、視点でものを言うのはとても刺激的である。

それについてくだを巻くことが大好きだ。もちろん全ての投稿者の記事が掲載

されるわけではなく、新聞社の選択があるので新聞社が掲載したくない記事、

不適当と判断された記事は相当数あるだろうし投稿記事は一部の意見だと

いう認識も必要である。

 

2017年7月28日の朝日新聞朝刊「若い世代」の投稿記事が目に留まった。

 

その内容は、

小学生で母親をがんで亡くした18歳の投稿である。当時は幼かったため残

された母親との時間を大切にできなかった。母親の存在・行為が当たり

前だと思っていたが、そうではないと気づいたという。そして母親の残し

てくれた言葉を座右の銘にし、日々懸命に生きているという話である。

 

18歳にしてこの考えができるということに驚いている。この人がこの

ように考えることは、母親の教えが正しいことの証左であると感じた。

ゴーヤの変化

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ゴーヤが変化した。写真のように黄色くなり始めている。以前にも述べたが

青々とした熟す前の幼果を食べる人が多数派なのではないかと私は思ってい

る。しかし黄色くなり熟したゴーヤも食べることも可能だろうとは思う。多く

の他の植物同様、変色し動物に発見されやすい形態になるのであろう。自然界

でも黄色は目立つ色なのだろうか。ゴーヤの花は黄色だ。

 

今後は完熟したゴーヤも紹介する予定だ。