身のまわりにはいつも何かが

身のまわりにあることを書いていきます。これから色々な分野に挑戦していきます。

語学力強化月間 その7

私は過去にベトナムに語学留学をしたことがある。なぜベトナム語なのかという疑問を

持つ人も多かったのだが「縁」があったというほかはない。人はそこにエピソードを期

待する。人生において特別な何かがとっかかりに有り、何かを実現するために相当な努

力をしたというような美談、耳に快適なストーリーを期待する。

 

「えっ、ベトナム語ですか!すごいですねぇ。どうしてベトナム語なんですか」

 

これに対して大して面白くない普通な返答をすると、

 

「ふーん」

 

で終わることが多い。つかみとしてベトナム語は人々を惹きつけるものがあることは確

かだ。しかしそこに何かしらの面白い話がないと質問者は期待を裏切られた感じがする

ようで話がしぼんでいく。これが英語留学であればどうだろうか。人々はベトナム語

学程にエピソードを求めないのではないか。やはり英語はスタンダードになり過ぎて

イメージが固定化されているのであろう。私もしかりである。物事に対しての固定観念

は危険であるものの恐らく人間の特性であり、物事には確固として理由があるはずだと

思うのであろう。理由がないと気持ちが悪いしいつまでも何でだろうとそこに注力して

他の事が手に付かなくなるからではないか。生きるためにはあらゆる事柄に対し対応し

ていかなくてはならないのである。一つのことにいつまでもエネルギーを注ぐことはで

きないため、理由をつけそれがあたかも自然なことであり疑いようがないと結論づけ次

の対処するべきことに進みたいということか。

 

人間は合理的に、否、適応的にできているのである。