新聞を読むことから考える
これまで新聞を読む面白さ、有用であることを何回か述べたことがある。私は情報収集
というよりは単に読み物として楽しんでいる。「社会人であるならば新聞を読め」とい
うようなスローガンのような文章を見かけたことはあるがこれには苦笑してしまう。社
会人であろうとなかろうと老若男女問わず新聞を楽しむ方がよい。なぜ強制的なニュア
ンスを差し込んでしまうのか。余計に新聞を読む人が減っていくのではないか。人は本
来強制されることを拒否する生き物である。
各社の新聞はそれぞれ特徴があり、一方内容によっては似通った記事もあるだろう。そ
して政権に対して批判的な新聞、親和的な新聞等色々あるだろう。新聞は批判的である
べきであるという考えには基本的には賛成である。ところで新聞は政府の話だけ載って
いるのではない。それ以外に地方の話、季節の話、催し物、世の中には色々な人がいる
こと等ジャンルの数について言えば政府の話は少数派ではないか。このように多種多様
な情報があるところが新聞の存在意義であると私は考える。読者は必要な情報を取得す
ればよいのではあるが、自分に必要ではないと思われる情報にも触れる確率が上がる。
なぜなら読者層が多様である前提で作られているからである。ここが最も重要である。
「自分に必要ではないと思われる情報にも触れる確率が上がる」
自分に必要ではないと思われる情報は実はとても重要であったとか、重要になったとい
う視点である。このようなメディアは新聞独自のスタイルであるとは言えない。テレ
ビ、ラジオでも可能であろう。しかし、短時間に同時に様々な情報を得るといったこと
に関しては新聞が頭ひとつ抜き出ると考えるのである。