希望
人生において心配はつきない。同じ事象であっても性格によって心配の度合いは異なるとは思うが心配するという行為は進化の過程で身に付けた生きるための行為自体であるのではと考えている。
全く心配しないとどうなるであろうか。それもストレスなく良いかもしれない。しかし心配があるためにそれに対して準備や対策を考える行為が生まれる。良い面である。
一方、心配には終わりがないとも言えるのではないか。心配に対しての準備に対しての心配等終わりがない。どこに線を引くかがポイントとは言え、線を引くことができない場合も多い。
自分自身の力ではどうしようも無いこともある。しかし悲嘆だけでは生きてはいけない。どうすればよいのか。答えはない。辛くても腹立たしくてもどうしようもなくてももがくだけである。
このように書いたが心配の対極に位置する言葉もある。それは希望である。それは心配とセットなのかもしれないが心配を打ち消すことができる言葉でもあるのではないか。
私は自分に言い聞かせる。
いくら心配しても良い、希望を持てと。