身のまわりにはいつも何かが

身のまわりにあることを書いていきます。これから色々な分野に挑戦していきます。

ご馳走とは

物事の定義は難しい。絶対的な定義は不可能である。物事を定義することは相対的なことであると言える。これはこういうことであると決めると便利である上すっきりする。しかしそれが自分自身以外に理解してもらえるかと言うと恐らく無理である。その前提があるからこそ人は共感を欲するのではないか。

 

人間にはバックグラウンドがある。それは社会的なバックグラウンド、親や家族、そしてご先祖様と連綿と続く逃れられないバックグラウンドなど色々ある。自分はこのようなことが好きであると思ってもそこにバックグラウンドが影響している可能性は高い。つまりそれは全くの自分自身の個性ではなく潜在的な側面であることも否定できない。

 

最近漬け物を数種類購入した。ご飯のお供である。これまでも漬け物は好物で食べていた。再確認したのがご飯に漬け物があると何と充実しているのかということである。私の朝食はいつも納豆と味噌汁、ご飯である。しかしその3つでは最低限な感じがして少し寂しいのである。ここに色とりどりの漬け物(少し大げさ)があると華やかさが違う。味も大切だが色合いがこんなにも精神に影響を与えるとは恐れ入った。

 

私のご馳走の定義は納豆、味噌汁、ご飯と漬け物である。人に押しつけるわけではないし共感も期待していない。このご馳走に対し私が美味しいと思い幸せであれば良いだけである。だがこれとて私のバックグラウンドの影響があるに違いない。

 

つまり人に私の心を押しつけず、バックグラウンドを与えてくれた人に感謝し、今目の前を楽しむことに自覚的でありたいのだ。今朝、新生姜の辛味にしびれつつ思ったのであった。