ひまわりの発芽から考える
一週間程前か、いや10日間は経っただろうか。記憶力がなくなったと言うより
は、いつ播いたかどうかという記憶は私の今の生活においては必要ではないため覚
えると損をすると脳が判断したのであろう。それよりも覚えていなくてはならない
ことがたくさんある。人間の能力は無限であるという言い方も否定はしないが、逆
に使える能力も有限であるということも言える。基本的に余計なことはしないとい
うのが脳の動きであろう。しかし少なくない場合において、人は色々な刺激を外部
や内部から感受し他人から見れば余計なことをしてしまう。とてもやっかいな性質
である。
さて写真はひまわりである。現在はいくつかのポットに播いておりその中の一つが
これだ。1ポットに3、4個の種を播いた。一番強そうなものを残す。時には面倒で
間引きはせずそのまま放置することもある。発芽というのは植物にとって一代イベ
ントであるのではないか。遺伝子を子孫に伝えそれがまた次世代をつなぐ一区切り
の段階である。とても生命力あふれると感じ、見ているだけで気持ちがよい。しか
しいずれ時が経てば枯れまた次世代につなぐ繰り返しである。切ない感情も出てき
そうだがそこにはただ自然があるのみと解釈する。これはとても示唆的ではない
か。この思考において対象がひまわりでなければならない必要はないが偶然ひまわ
りがそこにあった。またしても示唆的ではないか。
今夏はどのような花を咲かせてくれるのだろうか。