恥ずかしい思い
時々新聞を読んでいて思うことがある。恥ずかしいという感情だ。私自身が恥ずかしい
と感じるのである。それはどのような時か。
実際のところ色々とあるのだが一般投稿の記事を読んだ時が多い。投稿には様々な意見
がある。紙面の都合上限られた数ではあるし、採用者の恣意的な部分もあるだろう。し
かし自分にはない思想、考え方、視角の投稿を見かけたときは本当に感心する。時には
反対もする。
先日、2017年11月6日の朝日新聞朝刊の「ひととき」という記事を読んだ。題に「言葉
との付き合い方」とあり18歳の大学生の投稿であった。内容は、スマホをなくして初
めて気が付いたのはいかに考えることをせずに行動していたかとあった。大学生は思い
ついたことをそのままネット上に投稿していたことを反省していた。私はこの投稿は、
言葉に重みが必要だという内容だと解釈した。
私より年齢が若い大学生がこのような考えを文章に上手にできることに驚いた上、自分
の恥ずかしい行動を顧みた。私はすぐ年が上だとか下だとか思ってしまう。このような
ことを言っている間は私自身は成長できないだろうな。このように考えさせられること
も新聞の良いところの一つだと思う。