「もう一つの祖国 戦後70年 祖父はベトナムに残った(朝日新聞過去記事から)」 その8
朝日新聞縮刷版 2015年7月24日の記事を読んだ感想である。
旧日本兵とその息子と孫は福岡の旧日本兵の自宅を訪れた。息子は祖母の世話
をするためにベトナムへ残ったので、息子の兄弟姉妹とは生き別れ状態であっ
た。そして35年ぶりに再開を果たす。しかし幼い時に日本へ来た兄弟姉妹達は
ベトナム語をうまく話すことができず会話がままならない。それを見ていた孫
は日本語を学ぶ決心をする。
孫はベトナムで大学を卒業後日系企業に就職する。日本語を使用し日本とつな
がる仕事に邁進する。そして転機は訪れた。仕事で日本へ行くことになりビザ
取得のために日本大使館へ行った。そこで偶然ベトナムで網膜手術のボランテ
ィアをしている日本人医師を手伝うベトナム人眼科医と知り合った。
私は生き別れた兄弟姉妹と母国語を通し会話ができないということに衝撃を受
けた。戦争の直接の影響ではないのかもしれない。そこにはベトナムに残ると
いう選択があった。否、選択せざるを得ないということを考えるとやはり戦争
の直接の影響である。
ベトナムで家族揃って暮らしたかっただろうに。