身のまわりにはいつも何かが

身のまわりにあることを書いていきます。これから色々な分野に挑戦していきます。

ゴーヤの芽が出ない

我が家の家庭菜園はとてもにぎやかである。とても満足している。しかし、しかし

である。ゴーヤの芽が出ないという残念な状況である。例年の経験によりもう芽が

出ているはずではあるが出ていない。その種は今年購入した種である。何年も前の

種であるならば芽が出ないことに対しても納得ができる。

 

これはどういうことだろうか。個性があると言いたいところではあるが全てのゴー

ヤの種が発芽しない。そろそろ花屋でもゴーヤの苗は売らなくなってきている。こ

れは少し焦る必要があるのだろうか。良いアイデアはない。

 

続報を待て!

ベトナム旅行記 旧正月を味わう その50

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ベトナムの豆腐を紹介しよう。日本人にとって豆腐はとても身近な食べ物であるし

なくてはならない食品の一つである。では豆腐は日本由来の食品であろうか。それ

ともどこか他の国が最初だろうか。このようなことは本当のところ分からないとい

うのが正しいのであろう。何故ならば文字が発明されたのは長い人類の歴史の中で

はほんの最近であることが分かっているらしい。確かに文字がなくても生きては行

ける。動物は文字を使用しないのだから。文字が無いと歴史を残すことにおいて限

界がある。口伝えで残せることにも限界がある。どこが最初の豆腐発明国なのかは

重要ではない。豆腐がうまいことが重要なのである。

 

写真はベトナムの木綿豆腐と思われる食品である。絹豆腐は今のところ見たことが

ない。かなりしっかりした豆腐であり、油で揚げて厚揚げにして食べることも多

い。日本人にも違和感なくおいしくいただける豆腐であった。

ゆうがお

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昨年育てたゆうがおから取った種を植え、無事ゆうがおが発芽した。よるがおとい

う名で販売されていたケースもあった。朝顔によく似ているが、日が落ちてから花

が咲く。朝顔と一緒に育てれば一日中花が楽しめるということである。贅沢の極み

ではないか。このゆうがおはうす紫の花が咲いたとの記憶がある。

 

ゆうがおは可憐というよりも少し日が落ちてから咲くことにより少し妖しい雰囲気

がする。いずれ紹介するが私自身が一番楽しみにしている。

つるなしインゲンの発芽

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昨年の成功体験から今年もこのつるなしインゲンを育てることにした。昨年は大し

て期待もせず新しいものに挑戦しようとした結果、大収穫ができた。調子にのり今年

は去年の倍以上の収穫を目論み種を播いた。順調に発芽を続け大変うれしい。

 

本やネットの情報によるとつるありインゲンの方が収穫量が多いとある。しかしつ

るありにするスペースがないのでつるなしにしたのである。しかし昨年の収穫量を

考えると私にとってつるなしでも十分だと考えている。さあこれからは楽しいこと

ばかりである。

ヘチマ順調

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先日発芽したヘチマがこのようになった。二つ種を播いたはずであったが一つしか発芽

しない。まあそういうこともよくある。一つだけではあるがとても力強く頼もしい。ヘ

チマは一つで十分である。私の感覚ではあるが、ヘチマはゴーヤよりも葉の勢いが強く

株も大きくなるようである。二株あるととんでもない大きさになり森のような雰囲気に

なってしまうと考えている。グリーンカーテンとしては最適ではないかと思うが昨今は

ゴーヤの人気がより高いのでは感じている。

 

発芽と成長を喜んでいる私ではあるが実はまだグリーンカーテンを設置するかどうか、

どの植物で作ろうかを決めていない。昨年と異なるものでやりたいという気持ちと昨年

同様の安定を好む私がいる。さあどうなるか。自分でも楽しみである。

ひまわりの発芽から考える

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一週間程前か、いや10日間は経っただろうか。記憶力がなくなったと言うより

は、いつ播いたかどうかという記憶は私の今の生活においては必要ではないため覚

えると損をすると脳が判断したのであろう。それよりも覚えていなくてはならない

ことがたくさんある。人間の能力は無限であるという言い方も否定はしないが、逆

に使える能力も有限であるということも言える。基本的に余計なことはしないとい

うのが脳の動きであろう。しかし少なくない場合において、人は色々な刺激を外部

や内部から感受し他人から見れば余計なことをしてしまう。とてもやっかいな性質

である。

 

さて写真はひまわりである。現在はいくつかのポットに播いておりその中の一つが

これだ。1ポットに3、4個の種を播いた。一番強そうなものを残す。時には面倒で

間引きはせずそのまま放置することもある。発芽というのは植物にとって一代イベ

ントであるのではないか。遺伝子を子孫に伝えそれがまた次世代をつなぐ一区切り

の段階である。とても生命力あふれると感じ、見ているだけで気持ちがよい。しか

しいずれ時が経てば枯れまた次世代につなぐ繰り返しである。切ない感情も出てき

そうだがそこにはただ自然があるのみと解釈する。これはとても示唆的ではない

か。この思考において対象がひまわりでなければならない必要はないが偶然ひまわ

りがそこにあった。またしても示唆的ではないか。

 

今夏はどのような花を咲かせてくれるのだろうか。

ベトナム旅行記 旧正月を味わう その49

ベトナムの正月料理を紹介する。Banh Chung(バインチュン)である。代表的な料理

である。日本では正月に餅を食べるがベトナムでは正月にバインチュンを食べる。無く

てはならないものである。もち米、緑豆、豚バラ肉が主な材料だ。これを大きな葉で包

み大きな鍋で半日から一日茹でるというとても時間がかかる料理だ。しかも今も各家庭

で昔ながらの手作りをしていると聞く。これを用意するところからベトナムの正月が

始まるのである。帰省した家族とともにあれこれ近況を語りながら作る正月料理は最高

であろう。実体験ではないが日本にもその昔そのような文化があったのであろう。この

ようなことは世界で共通した現象で心が温まる重要な家庭行事なのではないか。

 

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右上の写真がバインチュン。中央がバインチュンを油で揚げたものでカリカリとした食

感が通常のバインチュンとは異なる。右下はオリーブであるがおそらくベトナムの魚醤

のヌクマム漬けであろう。一番下はRuocと言い豚肉の赤身に火を通し細かく糸状にして

炒ったものに調味したフリカケ的な存在でごはんが進む。左下はらっきょうの塩漬けで

食べやすい。左上はヌクマムベースのつけダレであろうか。何につけてもよい。ベトナ

ム人はヌクマムがないと生きてはいけないと言っても過言ではない。思い出すとまた食

べたくなる。次はいつベトナムを食べに行こうかと思案する最近であった。