身のまわりにはいつも何かが

身のまわりにあることを書いていきます。これから色々な分野に挑戦していきます。

特別なこと

私はがんという病はとても特別な病であるように感じる。がんと聞いてそのネガティブ

な印象は強い。それはがんについての情報の乏しさも原因の一つではないだろうか。

 

私の得意の戯言になるが、私の持っている知識では自分自身の遺伝子、細胞が正常に

増殖、修正できなくなる時にがん細胞となり正常機能しなくなる。その結果、悪さを

するというパターンが多いという認識である。そして日常的にがんの芽は健康だと思

われる人(健康とは何かという定義はできないが)でも普通に存在するという。つま

り、がんは日常的な存在であるという認識である。しかし人は「まさか自分ががんに

なるなんて」と思う。私もがんが発見されれば「何で私が?」と被害者意識が湧き

絶望に陥るだろう。


これはどういうことだろうか。人々の意識ががんを「特別なもの」にしたのかもしれ

ない。がんとはどういうものか、がんになったらどうすればよいか、がんになり残さ

れた時間をどう使うのか、身近ながん患者に対する接し方等を広く啓蒙、教育してい

ってはどうだろうか。もうそういう段階にきているのだと感じている。

 

 

 

投稿記事

新聞の面白いところはたくさんある。その中でも私が好きなのは投稿記事で

ある。色々な 人が様々な立場、視点でものを言うのはとても刺激的である。

それについてくだを巻くことが大好きだ。もちろん全ての投稿者の記事が掲載

されるわけではなく、新聞社の選択があるので新聞社が掲載したくない記事、

不適当と判断された記事は相当数あるだろうし投稿記事は一部の意見だと

いう認識も必要である。

 

2017年7月28日の朝日新聞朝刊「若い世代」の投稿記事が目に留まった。

 

その内容は、

小学生で母親をがんで亡くした18歳の投稿である。当時は幼かったため残

された母親との時間を大切にできなかった。母親の存在・行為が当たり

前だと思っていたが、そうではないと気づいたという。そして母親の残し

てくれた言葉を座右の銘にし、日々懸命に生きているという話である。

 

18歳にしてこの考えができるということに驚いている。この人がこの

ように考えることは、母親の教えが正しいことの証左であると感じた。

ゴーヤの変化

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ゴーヤが変化した。写真のように黄色くなり始めている。以前にも述べたが

青々とした熟す前の幼果を食べる人が多数派なのではないかと私は思ってい

る。しかし黄色くなり熟したゴーヤも食べることも可能だろうとは思う。多く

の他の植物同様、変色し動物に発見されやすい形態になるのであろう。自然界

でも黄色は目立つ色なのだろうか。ゴーヤの花は黄色だ。

 

今後は完熟したゴーヤも紹介する予定だ。

ふるさと納税

納めたことはないがふるさと納税には以前から興味があった。インターネット

で少し調べてみると、納税者(利用者の方が的確か?)はネット通販を利用し

て商品を買う感覚で納税するように私には見える。これは納税なのかと疑問も湧く。

 

2017年7月21日の読売新聞朝刊にこのような記事があった。

 

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子ども困窮世帯に「宅食」

文京区など ふるさと納税資金に

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記事によると、文京区や子どもの貧困問題に取り組むNPOなどの団体が

同区の貧困家庭世帯に食品を配る制度を始める。その資金はふるさと納税だ。

ふるさと納税の返礼品はないという。下記、文京区区長の言である。

 

「子どもに幸せを届けるという目的に、ふるさと納税のあり方に一石を投じたい」。

 

納税の返礼品はないがふるさと納税のシステム上、その分税金がいくらか軽減

されるのではないか。

 

ふるさと納税ってのは本来こういうことなのではないか。現状のふるさと納税

のあり方は本来の目的からずれてしまっているのではないかと感じた記事で

ある。

 

<文京区のこども宅食についてのWebサイト>

http://www.city.bunkyo.lg.jp/kyoiku/kosodate/takushoku.html

 

理想的な読書方法を探すには その8 ・繰り返し何度 も読む 【音読10回】

今回の題材は、「天声人語 2017 春 vol.188」 「10年先への歌」 2017年1月1日


内容は、

・アメリカの教授は10年前には無かった物(技術)を新入生に述べさせる

・技術が進み社会が変わり人工知能やIT技術により奪われる仕事もでてくるの

ではないか

・そのような社会に人間が追いついていけるのか?そこに潜む問題。危険はないのか?

・どのように技術と未来に向かっていくか?技術に支配されるてしまうのか?

人間の、社会と技術に対しての付き合い方への問題提起の話だ。

 

10回繰り返して音読した。時間にして6分程度。気づいたことがある。初めて

音読した時は文章の塊を間違った塊として読んだり、単語のアクセントを間違えた

りした。しかし二回三回と繰り返すうちに発音、文書の流れ、リズムがどんどん良く

なる感覚があった。もうひとつは繰り返し読むにつれて文章の内容が記憶されて読み

ながら読んでいる内容について思考ができるということだ。うまく述べることは難し

いが、口は勝手に文章を読むために動き、頭は文章全体の内容を把握し時に個別の

内容について考えることができる。つまり口と頭が独立して働いているような感覚だ。

 

初めのうちは読むことに集中して思考する余裕はなかった。繰り返すうちに読みと

思考が分離してできるようになった。これがどのような利点をもたらすかはまだ整理

できていないが何かに応用できそうな気がする。

 

これは興味深いことだ。

ラジオ

私はラジオが好きだ。朝起きると先ずラジオをつける。テレビはほとんど見ない。

ラジオの良いところは、映像がないため視覚の負担がない。つまり何かをしながら

聴く「ながら聴き」が可能だ。もちろん番組の内容も良いという理由もあるが多く

のラジオ愛好者にとって「ながら聴き」ができることは大きいのではと思っている。

 

何をしながらラジオを聴くかと言うと、日常の中で必要な作業でかつあまり積極的に

やりたくないことをやる時だ。例えば、掃除、洗濯、食器洗いなんてのはとっても

相性がよい。しかし本を読む時は集中できなくなるのでラジオは聴かない。

 

そしてどの番組を聴くかというところについてはどの番組でもよい。別に特定の番組

に絞る必要もない。先ずはラジオの電源を入れるところからスタートすればいい。

習慣になると面白さは倍増する。構えて集中して聴く必要もない。ただ流しておけば

よい。たまに流れる音楽で一日幸せになることだってある。おすすめなメディアだ。